ブッ壊れたシャワーヘッド

好きなものを、不規則に撒き散らすだけ

2020/08/30 ボーイズ・オン・ザ・バンド~真夜中のパーティー~マチネ(千秋楽)@なかのZERO大ホール

紆余曲折ありましたが、大千秋楽おめでとうございます!!!

途中取りやめざるをえない公演もあったので、キャストの皆さんの中では悔いがもしかしたら残っているかもしれないですが、それでも私は、今のこの世の中、例えばBLMの運動だったり、例えば自粛要請だったり、すべての人のアイデンティティ問題、価値観の多様性と他人への許容・理解・包容がますます問われる時代の流れにおいて、改めてこの作品を上演するのはとても意味があることなのではないかとしみじみと思った次第です。と同時に、見に行くことができてとても良かったです。濃厚接触者通知が来ませんように!!

大千秋楽、安田さんもう喉ガッラガラに枯れてて(笑) 早口のセリフも多いもんだから、ちょっと離れたところで観劇していた私は途中正直ちょっと聞き取りづらい場面もあったりしたんだけど。でもそれくらい皆さん本当に魂削ってここまで来たんだなと、千秋楽しか見ていないのに勝手にジーンときてしまった。そいえば途中地震なんかもあったね。揺れたなーと思ったけど終わってニュース開いたらやっぱ揺れてた。震度大きくなくてなにより。

強いて言うなら途中劇場スタッフの耳打ち声が聞こえてきたところと、懐中電灯なのかわからないけど薄めの反射光が乱反射して気が散ったのが残念だったな。ニューノーマルへの対応で色々戸惑いもあるのだろうけど演出を邪魔しちゃだめよ。

では以下ネタバレあり感想。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ざつーなあらすじ:

ニューヨークの割と良さげなアパートに住むゲイでカトリック信者で心療内科の治療中のマイケル。今日はゲイ仲間ハロルドの誕生日。マイケルの家で同じLGBTQの仲間たちで集まってハロルドのお祝いをする予定で準備を進めていたところ、大学時代の友人でマイケルはカミングアウトをしていないアラン(ストレート)が泣きながら今から会えないかと電話をかけてきた。心配したマイケルはアランをとりあえず家に誘い、集ったゲイ仲間にはなるべくゲイらしく振る舞わないようにお願いする。しかしあからさまにホモフォビアのような態度を示すアランの様子にマイケルたちの感情が徐々に変わってくる。やがてパーティは、酔ったマイケルが強引に始めた「心の交流ゲーム」という、心から愛している人に電話をかけて告白するというゲームの開催により、更に荒れ狂うこととなる。最後はそれぞれ自分の素直な感情に直面して悲喜こもごもとなったり、アランは己の性指向をカミングアウトすると思ったら妻に告白をして去っていったので、それを見たマイケルが後悔の念にかられて泣き叫んだりしてパーティの夜は更けていったと思うよ。

 

 

パーティの一晩のほんの数時間を描いた本作。まずはマイケルのゲイ仲間のみんなのキャラが濃い!今の恋人のドナルド(馬場徹さん)は冷静沈着で、感情の起伏が激しいマイケルをうまく包み込む男性。公立学校の先生ハンク(川久保拓司さん)はとても控えめで愛情深い性格かと思いきや恋人に対しては嫉妬深い一面も。その恋人で同居人のラリー(太田基裕さん)はちょっと斜に構えているところがあり、恋愛に関しては自由主義で浮気症。アフリカ系アメリカンのバーナード(渡部豪太さん、個人的に顔が一番好き)は人当たり優しいけど自身のルーツのこともあってかどこか卑屈的。その親友エモリー浅利陽介さん、個人的に一番好きなキャラ)は元気な毒舌おネエ。そのエモリーがハロルドの誕生日プレゼントとして連れてきたカウボーイの格好をした男娼(富田健太郎さん)。そして、明るいのにどこかシニカルな雰囲気をまとう今回のパーティの主役ハロルド(鈴木浩介さん)。

今回はまさしく密室の会話劇ということでかなりセリフの応酬が激しい本作なんだけど、前半のパーティシーンはとにかくシモネタ含めテンポよく進む進む。きっと彼らの殆どは日常生活では何かしら本当の自分を抑圧して生活しているだろうからこそ、気心の知れる仲間たちが集まるこのパーティを純粋に楽しむ様子が、後にアランが現れたときのヒリついた空気感ととても対照的で。と思いきやある意味空気が読めてないカウボーイちゃんがいい緩衝材となって可愛らしいのなんの。多分若い頃から男娼の仕事について、ある意味世間知らずなところがあるんだろうな。

 

「自分が同性愛者であることを受け入れられないからこそホモフォビアのように振る舞ってしまう」という描写は今でこそいろんな作品に現れているので*1、アランが敏感なまでにエモリーのオネエ言葉に嫌悪感を示した時点で「あこれはもしかして…?」と思ったのだけど、結局最後まで明かされなかったアランの本音はなんだったんだろうね。

個人的には、マイケルが怒りながら暴露していた、大学時代アランがゲイの友人ジャスティンといわゆる恋人のような関係であったことは嘘ではないと思うし、逆にアランも、今回電話口で泣きながらマイケルにどうしても会いたがったのは、自身の性指向のことについて親友に相談というか告白したかったからなのかなと思いました。マイケルはアランの前でずっとストレートを装ってたけど、アランが会場を去り改めて我に返ったマイケルは、今までアランはやっぱりどこかしら自分はゲイであることを見抜いていたこと、それを踏まえて悩みながらも勇気を振り絞って親友として己の中の葛藤を打ち明けようとしていたのにそれを最悪の方法で台無しにしてしまったことを悟って、泣き叫んだんじゃないかな。

パンフレットのキャストインタビューで安田さんは、マイケルのことを「言葉の鎧を纏った人」と言っていました。あたかも最初から自分の同性愛者というアイデンティティを達観しているように見せているけど、でも実際は大学からの親友にすら自分がゲイであることを告白できずにおり、常に何かから逃げるような生活を繰り返しながらニューヨークにたどり着いており、なんならそもそもカトリック(同性愛をsinful、すなわち罪深きものと見なしている宗教)という矛盾を内包する複雑な人物。それは、劇中でハロルドも「あんたは自分のことをごまかしてんのよ」(ニュアンス)と鋭く指摘しているとおりで。自分のアイデンティティを受け入れているようで、誰よりもコンプレックスを感じている人物なんじゃないかしら。

マイケルがアルコールの力に任せてあんなtruth or dareゲームみたいなことをみんなに強要したのは、そんな臆病な自分のことを分かっているからこそそんな自分を許せなかったし、同様に真の感情から隠れようとしているアランや仲間たちにも腹立たしく感じたからじゃないかなと。

 

逆にアランはどうだろう。最後までアランは自分を語るキャラクターではないから真相はわからないけど、あるじゃん?少数一部の人に打ち明けようとした秘密のことで周りいろんな人から炊きつけられたら逆に言えなくなるやつ?アランはあの部屋に踏み込んだ時点では本当に自分の性指向や生活を今一度見直そうと覚悟したんだと思うのよね。じゃなかったらエモリーたちがいうように「すぐに帰ってたはず」だし。そうしなかったのは彼の葛藤。でも告白ゲームでジャスティンにではなく妻に電話したのは彼の諦め。言い換えると彼は今後も己を偽る人生をあの電話の瞬間選んだんだろうなぁと。

マイケルの最後の涙は、後悔と、悔しさと、諦めと、きっといろんな感情が綯交ぜだったと思うし、それら全部ひっくるめてゆっくり母のようにマイケルを抱きしめる恋人のドナルドが本当に優しかった。

 

見終わったとき実はハロルドの「あんたは私のことを一番よくわかるし、私も誰よりもあんたのことを分かってる。そのうえであんたはいつまでも私に勝てないのよ」(ニュアンス)というセリフが理解できなかったのだけど、パンフレットの鈴木さんの安田さん白井さんとの対談で語ってた「ハロルドとマイケルは鏡の裏表」って話でなんかストンと腑に落ちたかな。ユダヤ人でゲイであることがどういうことなのか、舞台『BENT』を知っている方であればよくよくご存知かと思いますが*2、そんなハロルドがあんなに達観しているのは、ある意味彼はもうすでにマイケルが今悩み苦しんでいる段階すらももう経験して乗り越えてきたからなんじゃないかなと。ハロルドは周囲に自分のアイデンティティを伝えているのか作品中はわからないけど、ハロルドはマイケルの行き着く未来で答えなんじゃないかなと私は思いました。

 

例えば真の自分を表現するためにクローゼットを開ける人がいれば、社会的地位や生きやすさのために一生思いをクローゼットにしまい込む人もいて、それはどっちが正しいわけではなく自分のために選択していいように、一つの事象にはいろんな価値観があっていいし、相互理解までいかなくても互いに敬意を払うべきなのに、今も昔も声が大きい人が環境を制圧する傾向があるし、そうやって自由に自分を表現できないマイノリティが生まれてしまう。また、自分が勝手に信じる「正義感」を振りかざして、他人に価値観を強要するのも、今も昔も変わらないし、特に今はこういう特殊な時期なので一層際立つよね。

そんなことをふわふわ考えながら炎天下、駅近くのうどん屋さんまで歩いてうどんすすって帰りましたよ。適当な人間なんでね!

コロナの影響でキスやベッドシーンをなくしたりと、一部演出も変えたという記事を読んでいたし、インタビューでもリハーサル時間が削られて初日までにセリフを叩き込む必要があったなんて話もあったので、色々気苦労はたえなかったとおもいますが、今はとにかく全日程を終えたことに拍手を贈りたいです。安田さん、ついこないだ某ハナタレでくっだらないモリーダーのシモネタで大爆笑していた人と同一人物とは思えない。と思ったけど人生生きづらいエピソードで安定の腹下し話を語ってたのでやっぱり同一人物だった。さすがっす。

ちなみにこの作品、随分昔に映画化されています。『セルロイドクローゼット』で紹介されているのを見て一度は見てみたいと思っていたのになかなか巡り合う機会がなかったんだよね。もっかいDVDレンタル探してみっか。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:有名な例で言えば『ブロークバックマウンテン』とかかしら

*2:見たことないよって人はぜひ私のブログ読んでね!笑 16/07/20 パルコプロデュース BENTーベントー ソワレ@世田谷パブリックシアター - ブッ壊れたシャワーヘッド